2008-03-31

イレイザーヘッド

日本での公開は1980年、
劇場は新宿武蔵野館だったように記憶しています。
ある情報誌で、
あの衝撃的な消しゴム頭写真を見て、
公開3日目あたりに劇場へと足を運びました。
観客は、わたしを含めて4名。
当時の日本では、
まったく無名だったデヴィッド・リンチですし。
とても気色の悪い奇形映画ですから、
こんなものでしょう。
ガラガラの客席とは反比例して、
わたしはどんどんその異様な世界にのめり込んでゆきました。
その日を境に、
イレイザーヘッドマニアと化したわたしは。
映画学校の友人たちに、
「とんでもない監督が現れたぞ。
イレイザーヘッドを観ろ、イレイザーヘッドを観ろ」
と強く薦めました。
普段あまり映画を褒めないわたしが、
あまりに薦めるので。
友人たちは、こぞって劇場に足を運びました。
イレイザーヘッドマニアが増殖され、噂が噂を呼び。
イレイザーヘッドは映画学校の中では、
とても有名な作品となりました。
ところが、
一般客には全く受けなかったんでしょうね。
公開2週間で打ち切りとなり、
観損なった友人たちはかなり落胆していました。
それからしばらくして、デヴィッド・リンチが。
メル・ブルックス製作で「エレファントマン」という。
メジャー系奇形映画を作っているという情報が流れます。
観損なった友人たちは、見逃した事を本当に悔いておりました。
当時はビデオ屋さんなど、さほど発達しておりませんから。
劇場で観ておかないと、一生観られない可能性大なのです。
ましてや、公開2週間で打ち切りですから。
絶望的な興行成績です。

今やDVD等で、
好きな時間に、
好きな場所で、
映画が観られる時代です。
映画学生さんたちにとっては、
とても恵まれた環境になったのではないでしょうか。

イワモケ

[追筆]
昔々のお話ですから、
多少記憶が怪しい所もあります。
間違った情報等ありましたら、
失礼致します。

2008-03-17

花様年華

ウォン・カーウァイさん、
スタイリッシュ・メロドラマの巨匠ですね。
長玉(望遠レンズ)を多用した撮影は圧巻です。
監督のウォン・カーウァイさん、
撮影のクリストファー・ドイルさん、
主演のマギー・チャンさん。
実はわたし、
この3人の方々とお食事した事があるんです。
1991年のベルリン映画祭でした。
彼等は「欲望の翼」という映画での参加でした。
その時は「欲望の翼」ではなく、
「菊池」が受賞したわけですが。
ウォン・カーウァイさん、
今や巨匠ですからね。
真面目に映画を撮り続けた人と、
挫折して映画を投げた人との差は歴然です。
この方の映画を観る度に、
「わたしもそろそろ映画撮らなきゃ」
と我に返ります。

イワモケ

2008-03-07

お詫び

薄々は気づいておりましたが、
ブログを毎日更新するのって大変です。
辛くなってきたので、
ここからはぼちぼちやらせて頂きます。

すみません、
よろしくお願い致します。

イワモケ

2008-03-06

死顔

18歳の春。
立て続けに2人の友人が、事故死しました。
ひとり目は、ガソリンスタンドで給油後。
原付バイクで道路に出た際、大型トラックと接触。
転倒してトラックの後輪に巻き込まれて、
轢死しました。

とても驚いて、
通夜に駆けつけましたら。
彼のおばあちゃんが、
「見てちょ、見てちょ。死に顔見てちょ(名古屋弁)」
と棺の扉を開けるのです。
仕方なく棺の中をのぞいてみますと、
横たわっていた死体は別人でした。
激しく顔を潰されたらしく、
整形的な処置が加えられたその顔は。
知っている彼の顔では、なかったのです。

ふたり目は、
早稲田大学に合格して上京。
新人歓迎コンパでしこたま酒を呑んだ帰り道、
山手線ホームで友人たちと悪ふざけしていた彼。
線路に転落して、
山手線車両に轢かれて死にました。
わたしは、
ひとり目の修復された顔に強いショックを受けてしましたので。
通夜も葬式も、行くのをやめました。

2006年にお亡くなりになられた、小説家の吉村昭先生。
遺稿となった「死顔」。
自分の死顔を会うことの少い親族はもとより、
一般会葬者の隙にふれられることは避け、
二人の子とそのつれ合い、
孫たちのみに限りたい。
そのためには、
死後出来るだけ早く焼骨してもらい、
死顔は、
死とともに消滅し、
遺影だけが残される。

まったくもって、同感です。
わたしも同居人といつも、
互いの死後処理について話し合っています。
「出来るだけ早く焼骨してもらい」
これに尽きます。

瞼にセロテープを貼られて、
燃されたわたしの父親は、
さぞかし無念だった事でしょう。

イワモケ

2008-03-05

キューポラのある街

昭和貧乏人映画の決定版、
浦山桐郎の監督デビュー作です。
何度観ても、泣いてしまいます。
アニメ映画「火垂るの墓」と、
この「キューポラのある街」。
わたしの鉄板お涙映画でございます。

イワモケ

2008-03-04

ジャン・ジュネ

昔々、
わたしがティーンエージャーだった頃。
新宿3丁目にあった、
秘密クラブ的特殊映画上映所。
すみません、
名前が思い出せません。

10人も入れば満席の本当に小さな所でした。
そこで「愛の詩」というホモセクシャル映画を観ました。
これはジャン・ジュネが監督した唯一の映画です。
映画監督のジャン=ピエール・ジュネではなく、
作家のジャン・ジュネです。

これがなんともエロチックな映画で、
あろう事か。
男同士の絡み合いに、
ボッキしてしまったのです。

もしかしたらわたし、
ホモセクシャルかも知れません。
と、その後。
随分悩みました。

ちょうどその頃、
その様な方と。
そちら方面の機会がめぐって来まして、
試してみましたが。
だめでした。

それでまあ、
ホモセクシャル疑惑は消えたのですが。
安心したような、
がっかりしたような、
複雑な心持ちでした。
自分がホモセクシャルだったらおそらく、
まったく違う人生になっていた事でしょう。

こんな映画もう観られないだろうと思いつつ、
調べてみましたら。
先週、
渋谷のUPLIKでやっていたではないですか。
うーん、UPLIK。
とても苦手な劇場です。
理由を言うと悪口になりますので、
書きません。

イワモケ

2008-03-03

スケアクロウ

小4の時、
たまたまテレビでこの映画を観て。
なぜか、
映画監督になろうと決意したのでした。
どうして、映画監督なのか。
さっぱり覚えていませんが、
わたしにとっては記念碑的作品であります。
この映画。
カンヌでパルム・ドールを獲っていたんですね、
今回調べてみて初めて知りました。

イワモケ