2008-03-06

死顔

18歳の春。
立て続けに2人の友人が、事故死しました。
ひとり目は、ガソリンスタンドで給油後。
原付バイクで道路に出た際、大型トラックと接触。
転倒してトラックの後輪に巻き込まれて、
轢死しました。

とても驚いて、
通夜に駆けつけましたら。
彼のおばあちゃんが、
「見てちょ、見てちょ。死に顔見てちょ(名古屋弁)」
と棺の扉を開けるのです。
仕方なく棺の中をのぞいてみますと、
横たわっていた死体は別人でした。
激しく顔を潰されたらしく、
整形的な処置が加えられたその顔は。
知っている彼の顔では、なかったのです。

ふたり目は、
早稲田大学に合格して上京。
新人歓迎コンパでしこたま酒を呑んだ帰り道、
山手線ホームで友人たちと悪ふざけしていた彼。
線路に転落して、
山手線車両に轢かれて死にました。
わたしは、
ひとり目の修復された顔に強いショックを受けてしましたので。
通夜も葬式も、行くのをやめました。

2006年にお亡くなりになられた、小説家の吉村昭先生。
遺稿となった「死顔」。
自分の死顔を会うことの少い親族はもとより、
一般会葬者の隙にふれられることは避け、
二人の子とそのつれ合い、
孫たちのみに限りたい。
そのためには、
死後出来るだけ早く焼骨してもらい、
死顔は、
死とともに消滅し、
遺影だけが残される。

まったくもって、同感です。
わたしも同居人といつも、
互いの死後処理について話し合っています。
「出来るだけ早く焼骨してもらい」
これに尽きます。

瞼にセロテープを貼られて、
燃されたわたしの父親は、
さぞかし無念だった事でしょう。

イワモケ

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