2013-07-15

生まれてはじめて富士山頂に立つ

7月11日木曜日、
晴れ。

昨夜はなんだか興奮して、
一睡も出来なかった。
考えてみれば四歳の時、
海デビューする前の晩もやっぱり眠れなかった。

午前8時13分、
中央道日野BSで富士山五合目行き高速バスに乗り込む。
こちとら海千山千、
百戦錬磨の強者。
そうだとも、
五十を過ぎたオヤジにもう初体験なんかあろう筈がない。
そう高を括って、
いささか新鮮味に欠く日々をのんべんだらりと過ごしてきたが。
俺はまだ、
富士山頂に立っていなかった。

大半の人々は、
富士山頂に立たずして死んでゆく。
大半の人々は、
それで特に問題なしと死んでゆく。

いやいやダメだダメダメ、
富士山頂に立たずして死ぬわけにはいかぬ。
江戸時代の富士講に比べたら、
なんと恵まれた時代だろう。
高速バスに乗れば、
2050円で五合目(2305m)まで連れてってくれる。

きたかちょうさんまってたほいの、
祝・世界遺産登録だい。
てなわけで午前9時55分、
バスは定刻よりも10分程早く富士スバルライン五合目に到着した。
最新式のトイレをタダで借り、
安全安心の為に立派なうんこをする。

もろもろ準備を済ませ、
午前10時20分登山開始。
富士山乗馬組合所有の馬たちを右手に見て、
まずは登山口である泉ヶ滝へ向かう。

7月1日の山開きから10日、
世界遺産効果で昨年の1.5倍の登山者が押し寄せているそうだ。
ただ大半は御来光狙いの夜間登山者で、
日中の登山者はさほどでもないらしい。
景色が見えない夜間登山はあまり好きではないので今回、
迷わず平日の昼登山を選択した。

泉ヶ滝から登山ルートへ入ると、
御来光帰りの登山者たちが次々と下山して来る。
彼等は一様に疲れ切った表情をしていて、
富士登山の過酷さを象徴するが如く虚ろな目をしている。

登山道入り口に、
巨大な馬糞が落ちていたが。
虚ろな彼等がうっかり、
それを踏んだりしないことを静かに祈る。
六合目(2390m)で、
巧みに馬を操る乗馬組合のおじさんにパカパカと抜かれる。
馬は七合目で折り返すようだが、
背中に人が乗ってなきゃ余裕で頂上まで登れるんだろうな。

地図によると、
ここ六合目は登山道と下山道との分岐点らしいが。
登山道を下山道に使って下りて来る人もちらほらいて、
そのあたりは臨機応変の適当みたいだ。

寝不足による体調不良を心配していたが、
身体はさほど重くはない。
なので六合目では休まずに、
そのまま七合目を目指した。

1980年に亡くなられた新田次郎、
山にまつわる多くの小説を書かれた小説家だが。
この先生の山登り、
歩く速度がとても遅かったそうだ。

ただ、
歩く速度はとても遅いが。
歩き出したら休憩を一切とらないで、
ひたすら水も飲まずに歩き続けたらしい。

当然足が遅いから、
どんどん抜かれる。
だが先生は、
ひたすら歩き続けることが出来る。
前半は快調にかっ飛ばしていた登山者も、
後半になればペースダウンする。

そう、
「ウサギとカメ」の教訓。
最後には足の遅い先生が、
前半抜かれた登山者たちを抜き返すという話。

トレイルラン装備のカッコイイおばちゃんが、
軽快に俺を追い抜いて行く。
そのカッコイイおばちゃんの勇ましい後ろ姿を見上げながら、
以前読んだこの話を思い出した。
登山開始から1時間足らず、
七合目にある花小屋(2700m)に到着。
延々山頂を見上げながら登る富士登山は、
普段の登山とはだいぶ勝手が違う。
登山時間の流れが独特で、
1時間足らずの歩行時間が倍の2時間くらいに感じる。

花小屋の温度計を確認したら21℃だった、
東京は今頃35℃超えの酷暑だろう。
山頂の最高気温は10℃前後らしいが、
富士山は日本一高い山なんだなぁと改めて実感する。

山小屋のトイレは200円みたいだけど、
幸い適度の汗で尿意なし。
さほど疲れていないので、
新田次郎よろしく休憩なしで更に登り続ける。

七合目の日の出館とトモエ館を通過して、
鎖場に入る。
露岩の急登だが、
鎖を握って登ることが出来るので案外ラクだ。
トモエ館前で休憩していた超軽装の西洋人たちも、
鎖場を登り始める。
「富士山をなめてると痛い目にあうぞ」と言いたいところだが、
なんだかんだ言ってもこの人種のポテンシャルはかなり高く。
西洋の歴史的背景を含め、
そのチャレンジ精神がなせる技でもって。
結局かる~いカンジで、
富士山も登り切ってしまうのだろう。
トモエ館の先にある山小屋、
鎌岩館の軒下に1200円の酸素が置いてあったが。
確かに若干、
高山病の気配を感じる。
息は上がるし、
頭もなんとなく重い気がする。
高山病の特効薬は下山だと言うけれど、
途中で諦めて下山するのはさぞ悔しかろう。

山梨県立韮崎工業高校・山岳部顧問、
ヤマケンこと山本健一先生。
以前放映された「情熱大陸」の中で、
山岳レース中はゼリーのみで固形物は一切口にしない。
そう語っていたことに共感して、
俺も今回ゼリーのみです。

冬は食欲があるので物足りないが、
夏はむしろゼリーの方が良いかも知れない。
ここまでゼリーを2つ流し込んでいるが、
空腹感もなく快調です。

さすがにぼちぼち寒くなってきて、
長袖シャツの上にヤッケを着た。

富士一館を素通りして、
鳥居が目印の鳥居荘(2900m)を抜けると。
東洋館(2936m)へと続く、
新たな鎖場が現れた。

この鎖場あたりから、
5~6歩登っては休み5~6歩登っては休みを繰り返す。
酸欠で、
すぐに息が上がる。
なんとなく重い気がしていた頭も、
本格的な偏頭痛開始かも知れない。

頭痛というものをほとんど経験したことのない俺にとって、
嫁がよく苦しんでいる偏頭痛を富士山で共有することが出来た。

休み休みではあるが、
なんとか登り切って東洋館に到着。
積乱雲がちょうど東洋館の高さにあって、
まるで建物が雲の上にあるかのようだ。

東洋館を抜けると、
八合目にある太子館(3100m)へと続く新たな鎖場が続いている。
とても風が強くて、
帽子が飛ばされそうだ。
いつか見た冬山富士登山の映像が蘇り、
シンクロして足が竦んだ。

八合目の太子館でゼリーをひとつ流し込んで、
また登る。

蓬莱館(3150m)を抜けて、
白雲荘(3200m)に到着。
建物の壁に掲げられたメニュー表をしばらく眺め、
600円のビール・酒とカップ麺が同額なことに驚く。
ビール・酒は需要が少ないから安くしているのか、
それともカップ麺が大人気だから高くしているのか。
原価と利潤と手間を考慮して割り出された富士山価格、
逆らわずに従うしかないのかな。

白雲荘の前に、
1本500円のペットボトルが捨てられている。
富士山価格にむかつき、
これみよがしに捨てたのだろうか。

元祖室(3250m)を抜けて、
本八合目(3400m)に向かう途中で下山する集団を見かけた。
ソロにはソロの楽しみがあるし、
グループにはグループの楽しみがあるから否定はしないが。
それにしてもこれはちと、
大人数過ぎやしないか。
上江戸屋の前に、
「高山病に酸素あります」と書かれた杭がある。
嫁に「酸素を持って行った方がいい」と何度も言われたが、
無視をして酸素を持たずに来たことを後悔している。

ここらで一発、
力いっぱい酸素を吸い込んだら爽快なんだろうな。
今度来る時は是非、
美味しい酸素を持参しよう。

御来光が素敵であろう御来光館を抜けて、
砂まじりの溶岩石道をジグザグに登る。
近そうで遠い九合目(3600m)、
延々と続くジグザグ登山道の途中でトレイルランおばちゃんと再会。
すっかり忘れていたが、
へばったおばちゃんを「ウサギとカメ」で追い抜く。

息を大きく吸って、
酸素をより多く取り込む。
軽い高山病に苦しみながら、
なんとか九合目に到着。
それにしても流石に日本一、
やっぱ相当高いぞ富士山。

地図を取り出して確認すると、
頂上まであと35分とある。
8掛けで28分、
30分あれば余裕で着くだろう。

さあもうひと踏ん張りと、
取り出した地図を戻そうとするが。
風が強過ぎて、
なかなか折り畳めない。
富士登山は楽しくて笑いが止まらぬが、
行動が制限される強い風は興ざめだ。
鎖場ではないが、
露岩が続く登山道を登り切ると階段が現れ。
その階段の先に、
真新しい狛犬と塗装されていない鳥居が見える。
どうやらその先に頂上があるらしいが、
息が上がって足を早めることが出来ない。

5~6歩登っては休み、
5~6歩登っては休みを繰り返し。
鳥居を抜けると、
日の丸と「富士山頂上浅間大社奥宮」と彫られた石碑が見えた。
着いた着いた、
4時間30分で富士山頂に到着だ。

東京都の最高峰、
雲取山(2017m)の登りは約4時間20分でほぼ同じだが。
酸素が薄いせいか、
体験したことのない別次元の登山だった。

嫁に頼まれた富士山のお守りを、
富士山本宮浅間大社の末社である久須志神社で買う。

神主に「お鉢巡りは時計に回るべきか、反時計に回るべきか」と問うてみたが、
「どちらでもお好きな回りで」と素っ気なく返された。

東京堂や山口屋があって、
賑やかそうに見える時計回りを直感的に選択した。

大日岳、伊豆岳、成就ヶ岳を右手に見ながら進むと、
御殿場ルートの出入り口がある。
その先には、
富士宮ルートの出入り口もある。
なるほど、
静岡県人はここから出入りしているのかと納得し。
更に進み続けると富士山頂上浅間大社奥宮の前に出たが、
既に閉まっていた。

これまた既に閉まっていた、
富士山頂郵便局の前を抜け。
更に進み続ければ剣ヶ峰へと続く最後の難所、
馬ノ背の急登が現れる。

その馬ノ背を、
砂埃を撒き散らしながら下って来る団体さん。
左手に設置された手すりに掴まって、
団体さんが通り過ぎるのを待つ。

それにしても最後の最後にこの急登、
息が上がってなかなか進めない。
山頂を見上げれば、
気象庁が1964年に設置した富士山レーダーが見える。

あとひと踏ん張り、
さあ頑張れと最後の力を振り絞ってなんとか登り切ると。
ちょうどいいタイミングで誰もおらず、
剣ヶ峰を独り占めすることが出来た。

「日本最高峰富士山剣ヶ峰 三七七六米」と彫られた、
立派な石碑を色んな角度から撮影する。
しばらく剣ヶ峰をひとりで堪能していると、
二人組の男性登山者が現れたので譲るようにして下りた。

ここから大沢崩れを抜けて、
お鉢巡りを完成させようと思っていたが。
先に見える雪渓に怯み、
諦めて引き返す。

それにしても忌々しい糞神主め、
間違えて反時計に回っていたら剣ヶ峰に辿り着けなかったじゃないか。

先程登った馬ノ背を、
今回から試験導入する「必殺踵下り」を試す。

どうにも下りで足先に激痛を覚えるので、
下り方を根本的に改めようと試行錯誤した結果。
つま先ではなく、
踵に重心を置いて下る「必殺踵下り」を開発した。

極力膝を曲げずに、
踵を真っ直ぐ地面に突き刺すイメージだ。
転ばぬように、
手を大きく振って大股で下りる。
こんな下山方法は見たことも聞いたこともないが、
自分にはすこぶるマッチする。

「必殺踵下り」で馬ノ背を難なくクリアして、
来た道を引き返す。

午後4時ちょうど、
須走口下山道入り口に到着。
午後6時発富士山駅行きの富士急バスに乗りたいが、
あと2時間しかない。
マスクと軍手を装備する時間も惜しく、
そのまま下山を開始した。
すると試験導入の「必殺踵下り」が完全にハマって、
絶好調のスイスイでポイポイだ。

トレイルランな人々は、
つま先で走って下るマラソン式だが。
俺の「必殺踵下り」は、
膝を伸ばしたままの競歩式。
走っているわけではなく、
あくまで早歩きだからとても安全だ。

「必殺踵下り」サイコー、
「必殺踵下り」サイキョーと心の中で叫んでいたら。
あまりにもスピードが出過ぎた為、
踵のブレーキが効かなくなる。

高速回転し続ける両足に恐怖を感じて、
思わずつま先を使ったのが運の尽き。
思いっ切りバランスを崩し、
登山道の左脇に頭から突っ込んだ。

がしかし、
出していたスピードが半端なかったらしく。
それでは止まり切れず、
一回転した勢いで再び起き上がり、
今度は登山道の右脇に突っ込んでやっと止まった。

なんとか受け身を取って、
うまく転んだが。
軍手の装着を怠った為、
両手を擦り剥く。

「必殺踵下り」敗れたり、
あぁ腰が痛い。

「大丈夫ですか?」と、
心配そうに近寄って来た好青年たち。
「大丈夫大丈夫、平気です」と、
気恥ずかしそうに愛想笑いをする俺。

高校時代の選択授業、
柔道の受け身を習ったおかげで助かった。
五十を過ぎたオヤジが猛スピードで転がりながら、
前方一回転受け身をキメる。
そりゃあ誰だって、
「大丈夫ですか?」と尋ねたくなるわな。

リュックから軍手を取り出し、
取り急ぎで血だらけの両手の平を保護する。
急いでいるとはいえ、
軍手をせずに下山開始してしまったことをひたすら反省する。

しばらく「必殺踵下り」を封印して、
慎重に下り直す。

どうして転んだのか、
「必殺踵下り」が悪かったのか。
いやいや違う、
「必殺踵下り」は悪くない。
問題はスピードだ、
スピードが問題なのだ。
出過ぎるスピードをうまくコントロールすれば、
「必殺踵下り」は使える。

よしもう一度、
「必殺踵下り」後半戦だ。
踵のブレーキングに細心の注意を払い続け、
しっかりと足元を見定めて下り続ける。

急勾配な下りに悲鳴を上げている西洋人グループを追い抜き、
悪戦苦闘の若いカップルと老夫婦を追い抜いて下り続ける。

色んな方々を次々に追い抜いて、
すたこらさっさと泉ヶ滝を抜け。
スバルライン五合目に戻ったのが、
下山開始から1時間30分後の午後5時30分。

10時20分の登山開始から7時間10分、
はじめての富士山頂行は腰を強打して終了した。

苦労して 登った富士を ひとっ走り

イワモケ
スバルライン五合目→泉ヶ滝→六合目(2390m)→七合目→富士一館→八合目(3040m)→本八合目→九合目(3600m)→山頂→久須志神社→大日岳→伊豆岳→成就ヶ岳→駒ヶ岳→三島岳→馬の背→剣ヶ峰(3775m)→須走口下山道→本八合目→八合目→緊急避難所→獅子岩→下山道出口→六合目→泉ヶ滝→スバルライン五合目
距離=12.7km 最大標高差=1539m
[登山時間=約7時間10分]