2013-07-15

生まれてはじめて富士山頂に立つ

7月11日木曜日、
晴れ。

昨夜はなんだか興奮して、
一睡も出来なかった。
考えてみれば四歳の時、
海デビューする前の晩もやっぱり眠れなかった。

午前8時13分、
中央道日野BSで富士山五合目行き高速バスに乗り込む。
こちとら海千山千、
百戦錬磨の強者。
そうだとも、
五十を過ぎたオヤジにもう初体験なんかあろう筈がない。
そう高を括って、
いささか新鮮味に欠く日々をのんべんだらりと過ごしてきたが。
俺はまだ、
富士山頂に立っていなかった。

大半の人々は、
富士山頂に立たずして死んでゆく。
大半の人々は、
それで特に問題なしと死んでゆく。

いやいやダメだダメダメ、
富士山頂に立たずして死ぬわけにはいかぬ。
江戸時代の富士講に比べたら、
なんと恵まれた時代だろう。
高速バスに乗れば、
2050円で五合目(2305m)まで連れてってくれる。

きたかちょうさんまってたほいの、
祝・世界遺産登録だい。
てなわけで午前9時55分、
バスは定刻よりも10分程早く富士スバルライン五合目に到着した。
最新式のトイレをタダで借り、
安全安心の為に立派なうんこをする。

もろもろ準備を済ませ、
午前10時20分登山開始。
富士山乗馬組合所有の馬たちを右手に見て、
まずは登山口である泉ヶ滝へ向かう。

7月1日の山開きから10日、
世界遺産効果で昨年の1.5倍の登山者が押し寄せているそうだ。
ただ大半は御来光狙いの夜間登山者で、
日中の登山者はさほどでもないらしい。
景色が見えない夜間登山はあまり好きではないので今回、
迷わず平日の昼登山を選択した。

泉ヶ滝から登山ルートへ入ると、
御来光帰りの登山者たちが次々と下山して来る。
彼等は一様に疲れ切った表情をしていて、
富士登山の過酷さを象徴するが如く虚ろな目をしている。

登山道入り口に、
巨大な馬糞が落ちていたが。
虚ろな彼等がうっかり、
それを踏んだりしないことを静かに祈る。
六合目(2390m)で、
巧みに馬を操る乗馬組合のおじさんにパカパカと抜かれる。
馬は七合目で折り返すようだが、
背中に人が乗ってなきゃ余裕で頂上まで登れるんだろうな。

地図によると、
ここ六合目は登山道と下山道との分岐点らしいが。
登山道を下山道に使って下りて来る人もちらほらいて、
そのあたりは臨機応変の適当みたいだ。

寝不足による体調不良を心配していたが、
身体はさほど重くはない。
なので六合目では休まずに、
そのまま七合目を目指した。

1980年に亡くなられた新田次郎、
山にまつわる多くの小説を書かれた小説家だが。
この先生の山登り、
歩く速度がとても遅かったそうだ。

ただ、
歩く速度はとても遅いが。
歩き出したら休憩を一切とらないで、
ひたすら水も飲まずに歩き続けたらしい。

当然足が遅いから、
どんどん抜かれる。
だが先生は、
ひたすら歩き続けることが出来る。
前半は快調にかっ飛ばしていた登山者も、
後半になればペースダウンする。

そう、
「ウサギとカメ」の教訓。
最後には足の遅い先生が、
前半抜かれた登山者たちを抜き返すという話。

トレイルラン装備のカッコイイおばちゃんが、
軽快に俺を追い抜いて行く。
そのカッコイイおばちゃんの勇ましい後ろ姿を見上げながら、
以前読んだこの話を思い出した。
登山開始から1時間足らず、
七合目にある花小屋(2700m)に到着。
延々山頂を見上げながら登る富士登山は、
普段の登山とはだいぶ勝手が違う。
登山時間の流れが独特で、
1時間足らずの歩行時間が倍の2時間くらいに感じる。

花小屋の温度計を確認したら21℃だった、
東京は今頃35℃超えの酷暑だろう。
山頂の最高気温は10℃前後らしいが、
富士山は日本一高い山なんだなぁと改めて実感する。

山小屋のトイレは200円みたいだけど、
幸い適度の汗で尿意なし。
さほど疲れていないので、
新田次郎よろしく休憩なしで更に登り続ける。

七合目の日の出館とトモエ館を通過して、
鎖場に入る。
露岩の急登だが、
鎖を握って登ることが出来るので案外ラクだ。
トモエ館前で休憩していた超軽装の西洋人たちも、
鎖場を登り始める。
「富士山をなめてると痛い目にあうぞ」と言いたいところだが、
なんだかんだ言ってもこの人種のポテンシャルはかなり高く。
西洋の歴史的背景を含め、
そのチャレンジ精神がなせる技でもって。
結局かる~いカンジで、
富士山も登り切ってしまうのだろう。
トモエ館の先にある山小屋、
鎌岩館の軒下に1200円の酸素が置いてあったが。
確かに若干、
高山病の気配を感じる。
息は上がるし、
頭もなんとなく重い気がする。
高山病の特効薬は下山だと言うけれど、
途中で諦めて下山するのはさぞ悔しかろう。

山梨県立韮崎工業高校・山岳部顧問、
ヤマケンこと山本健一先生。
以前放映された「情熱大陸」の中で、
山岳レース中はゼリーのみで固形物は一切口にしない。
そう語っていたことに共感して、
俺も今回ゼリーのみです。

冬は食欲があるので物足りないが、
夏はむしろゼリーの方が良いかも知れない。
ここまでゼリーを2つ流し込んでいるが、
空腹感もなく快調です。

さすがにぼちぼち寒くなってきて、
長袖シャツの上にヤッケを着た。

富士一館を素通りして、
鳥居が目印の鳥居荘(2900m)を抜けると。
東洋館(2936m)へと続く、
新たな鎖場が現れた。

この鎖場あたりから、
5~6歩登っては休み5~6歩登っては休みを繰り返す。
酸欠で、
すぐに息が上がる。
なんとなく重い気がしていた頭も、
本格的な偏頭痛開始かも知れない。

頭痛というものをほとんど経験したことのない俺にとって、
嫁がよく苦しんでいる偏頭痛を富士山で共有することが出来た。

休み休みではあるが、
なんとか登り切って東洋館に到着。
積乱雲がちょうど東洋館の高さにあって、
まるで建物が雲の上にあるかのようだ。

東洋館を抜けると、
八合目にある太子館(3100m)へと続く新たな鎖場が続いている。
とても風が強くて、
帽子が飛ばされそうだ。
いつか見た冬山富士登山の映像が蘇り、
シンクロして足が竦んだ。

八合目の太子館でゼリーをひとつ流し込んで、
また登る。

蓬莱館(3150m)を抜けて、
白雲荘(3200m)に到着。
建物の壁に掲げられたメニュー表をしばらく眺め、
600円のビール・酒とカップ麺が同額なことに驚く。
ビール・酒は需要が少ないから安くしているのか、
それともカップ麺が大人気だから高くしているのか。
原価と利潤と手間を考慮して割り出された富士山価格、
逆らわずに従うしかないのかな。

白雲荘の前に、
1本500円のペットボトルが捨てられている。
富士山価格にむかつき、
これみよがしに捨てたのだろうか。

元祖室(3250m)を抜けて、
本八合目(3400m)に向かう途中で下山する集団を見かけた。
ソロにはソロの楽しみがあるし、
グループにはグループの楽しみがあるから否定はしないが。
それにしてもこれはちと、
大人数過ぎやしないか。
上江戸屋の前に、
「高山病に酸素あります」と書かれた杭がある。
嫁に「酸素を持って行った方がいい」と何度も言われたが、
無視をして酸素を持たずに来たことを後悔している。

ここらで一発、
力いっぱい酸素を吸い込んだら爽快なんだろうな。
今度来る時は是非、
美味しい酸素を持参しよう。

御来光が素敵であろう御来光館を抜けて、
砂まじりの溶岩石道をジグザグに登る。
近そうで遠い九合目(3600m)、
延々と続くジグザグ登山道の途中でトレイルランおばちゃんと再会。
すっかり忘れていたが、
へばったおばちゃんを「ウサギとカメ」で追い抜く。

息を大きく吸って、
酸素をより多く取り込む。
軽い高山病に苦しみながら、
なんとか九合目に到着。
それにしても流石に日本一、
やっぱ相当高いぞ富士山。

地図を取り出して確認すると、
頂上まであと35分とある。
8掛けで28分、
30分あれば余裕で着くだろう。

さあもうひと踏ん張りと、
取り出した地図を戻そうとするが。
風が強過ぎて、
なかなか折り畳めない。
富士登山は楽しくて笑いが止まらぬが、
行動が制限される強い風は興ざめだ。
鎖場ではないが、
露岩が続く登山道を登り切ると階段が現れ。
その階段の先に、
真新しい狛犬と塗装されていない鳥居が見える。
どうやらその先に頂上があるらしいが、
息が上がって足を早めることが出来ない。

5~6歩登っては休み、
5~6歩登っては休みを繰り返し。
鳥居を抜けると、
日の丸と「富士山頂上浅間大社奥宮」と彫られた石碑が見えた。
着いた着いた、
4時間30分で富士山頂に到着だ。

東京都の最高峰、
雲取山(2017m)の登りは約4時間20分でほぼ同じだが。
酸素が薄いせいか、
体験したことのない別次元の登山だった。

嫁に頼まれた富士山のお守りを、
富士山本宮浅間大社の末社である久須志神社で買う。

神主に「お鉢巡りは時計に回るべきか、反時計に回るべきか」と問うてみたが、
「どちらでもお好きな回りで」と素っ気なく返された。

東京堂や山口屋があって、
賑やかそうに見える時計回りを直感的に選択した。

大日岳、伊豆岳、成就ヶ岳を右手に見ながら進むと、
御殿場ルートの出入り口がある。
その先には、
富士宮ルートの出入り口もある。
なるほど、
静岡県人はここから出入りしているのかと納得し。
更に進み続けると富士山頂上浅間大社奥宮の前に出たが、
既に閉まっていた。

これまた既に閉まっていた、
富士山頂郵便局の前を抜け。
更に進み続ければ剣ヶ峰へと続く最後の難所、
馬ノ背の急登が現れる。

その馬ノ背を、
砂埃を撒き散らしながら下って来る団体さん。
左手に設置された手すりに掴まって、
団体さんが通り過ぎるのを待つ。

それにしても最後の最後にこの急登、
息が上がってなかなか進めない。
山頂を見上げれば、
気象庁が1964年に設置した富士山レーダーが見える。

あとひと踏ん張り、
さあ頑張れと最後の力を振り絞ってなんとか登り切ると。
ちょうどいいタイミングで誰もおらず、
剣ヶ峰を独り占めすることが出来た。

「日本最高峰富士山剣ヶ峰 三七七六米」と彫られた、
立派な石碑を色んな角度から撮影する。
しばらく剣ヶ峰をひとりで堪能していると、
二人組の男性登山者が現れたので譲るようにして下りた。

ここから大沢崩れを抜けて、
お鉢巡りを完成させようと思っていたが。
先に見える雪渓に怯み、
諦めて引き返す。

それにしても忌々しい糞神主め、
間違えて反時計に回っていたら剣ヶ峰に辿り着けなかったじゃないか。

先程登った馬ノ背を、
今回から試験導入する「必殺踵下り」を試す。

どうにも下りで足先に激痛を覚えるので、
下り方を根本的に改めようと試行錯誤した結果。
つま先ではなく、
踵に重心を置いて下る「必殺踵下り」を開発した。

極力膝を曲げずに、
踵を真っ直ぐ地面に突き刺すイメージだ。
転ばぬように、
手を大きく振って大股で下りる。
こんな下山方法は見たことも聞いたこともないが、
自分にはすこぶるマッチする。

「必殺踵下り」で馬ノ背を難なくクリアして、
来た道を引き返す。

午後4時ちょうど、
須走口下山道入り口に到着。
午後6時発富士山駅行きの富士急バスに乗りたいが、
あと2時間しかない。
マスクと軍手を装備する時間も惜しく、
そのまま下山を開始した。
すると試験導入の「必殺踵下り」が完全にハマって、
絶好調のスイスイでポイポイだ。

トレイルランな人々は、
つま先で走って下るマラソン式だが。
俺の「必殺踵下り」は、
膝を伸ばしたままの競歩式。
走っているわけではなく、
あくまで早歩きだからとても安全だ。

「必殺踵下り」サイコー、
「必殺踵下り」サイキョーと心の中で叫んでいたら。
あまりにもスピードが出過ぎた為、
踵のブレーキが効かなくなる。

高速回転し続ける両足に恐怖を感じて、
思わずつま先を使ったのが運の尽き。
思いっ切りバランスを崩し、
登山道の左脇に頭から突っ込んだ。

がしかし、
出していたスピードが半端なかったらしく。
それでは止まり切れず、
一回転した勢いで再び起き上がり、
今度は登山道の右脇に突っ込んでやっと止まった。

なんとか受け身を取って、
うまく転んだが。
軍手の装着を怠った為、
両手を擦り剥く。

「必殺踵下り」敗れたり、
あぁ腰が痛い。

「大丈夫ですか?」と、
心配そうに近寄って来た好青年たち。
「大丈夫大丈夫、平気です」と、
気恥ずかしそうに愛想笑いをする俺。

高校時代の選択授業、
柔道の受け身を習ったおかげで助かった。
五十を過ぎたオヤジが猛スピードで転がりながら、
前方一回転受け身をキメる。
そりゃあ誰だって、
「大丈夫ですか?」と尋ねたくなるわな。

リュックから軍手を取り出し、
取り急ぎで血だらけの両手の平を保護する。
急いでいるとはいえ、
軍手をせずに下山開始してしまったことをひたすら反省する。

しばらく「必殺踵下り」を封印して、
慎重に下り直す。

どうして転んだのか、
「必殺踵下り」が悪かったのか。
いやいや違う、
「必殺踵下り」は悪くない。
問題はスピードだ、
スピードが問題なのだ。
出過ぎるスピードをうまくコントロールすれば、
「必殺踵下り」は使える。

よしもう一度、
「必殺踵下り」後半戦だ。
踵のブレーキングに細心の注意を払い続け、
しっかりと足元を見定めて下り続ける。

急勾配な下りに悲鳴を上げている西洋人グループを追い抜き、
悪戦苦闘の若いカップルと老夫婦を追い抜いて下り続ける。

色んな方々を次々に追い抜いて、
すたこらさっさと泉ヶ滝を抜け。
スバルライン五合目に戻ったのが、
下山開始から1時間30分後の午後5時30分。

10時20分の登山開始から7時間10分、
はじめての富士山頂行は腰を強打して終了した。

苦労して 登った富士を ひとっ走り

イワモケ
スバルライン五合目→泉ヶ滝→六合目(2390m)→七合目→富士一館→八合目(3040m)→本八合目→九合目(3600m)→山頂→久須志神社→大日岳→伊豆岳→成就ヶ岳→駒ヶ岳→三島岳→馬の背→剣ヶ峰(3775m)→須走口下山道→本八合目→八合目→緊急避難所→獅子岩→下山道出口→六合目→泉ヶ滝→スバルライン五合目
距離=12.7km 最大標高差=1539m
[登山時間=約7時間10分]

2013-05-20

丹波BS~飛龍山~雲取山~鴨沢BS

山と高原地図23奥多摩、
この地図の左隅にあるのが飛龍山(2077m)。
こんな恐ろしい山に登る日が来るなんて、
青梅線の河辺に越して来た2010年には想像すら出来なかった。

あれから3年、
すっかり青梅・奥多摩に馴染んでいる。
下北沢に20年住んで、
毎晩飲んだくれていた自分が今では信じられない。
4年前にタバコもやめて、
酒もさほど強く飲みたいと思わなくなった。

ここから立川あたりへ繰り出すくらいなら、
逆に奥多摩方面へ向かって山に登った方が健全だろう。
そうだそうしよう、
山へ行こうと。
山と高原地図23を頼りに、
最初に登ろうと試みたのが。
鳩の巣駅から大楢峠を抜けて、
御岳山へ向かう初級コース。

山登りは10年振りだけど、
このくらいなら平気だろうとひとりで登り始めてみたが。
あろうことか、
鳩の巣駅から大楢峠までの急な登りに鈍った身体が対応出来ず。
ギブアップして、
大楢峠から鳩の巣駅へ引き返すという大しくじり。

あの屈辱から3年、
体重も高校時代のベストウエイトに限りなく近づき。
10時間歩いても、
平気な身体に仕上がった。

さあ機は熟した、
山と高原地図23の最高峰・飛龍山へ行くぞ。

5月14日火曜日、
快晴。
10数人の登山客を乗せた午前7時の奥多摩発丹波行きバスは、
雲取山登山口である鴨沢BSで大半の客を降ろす。
バスに残ったのは、
大きな荷物を抱えた2人の青年と私のみだ。

そして我々は7時55分、
終点の丹波BSで降りた。
山梨県北都留郡丹波山村、
山梨県なのに山梨方面への交通手段はなく。
唯一あるのが、
奥多摩駅とを結ぶこの路線バスだけだそうだ。

バス停の前を中学生たちが通過して行くのを見て、
私は思わず笑ってしまった。
男子も女子も超ダサく、
その純粋培養さ加減は半端ない。
ほとんど東京圏であろうこの村の中学生たち、
行こうと思えば渋谷にだって原宿にだって遊びに行けるだろうに。
情報が氾濫するこの現代社会において、
このダサさは奇跡としか言い様がない。

この村の中学生たち、
高校進学時には街に出て一人暮らしをするのだろうか。
高校へ行くのも一苦労、
いろいろ大変そうだなと。
中学生たちの心配をしながら舗装された道をしばらく歩くと、
「サヲウラ峠こちら」の道標が現れた。
「熊出没注意」の看板が掛けられた高電圧を流せる鉄網のドア、
こいつを開けて登山道に入る。
電気柵が延々と設置されている、
この辺りには確実に熊がいるということなのか。

自分で付けた熊よけの鈴の音にイラつきながら、
ゆっくりゆっくり高度を上げてゆく。

丹波BSの標高が630mだから、
2077mの飛龍山まで1447m登る計算だ。

「先はとてつもなく長いぞ、
 スローリースローリー落ち着いて」と。
あえてスローなペースで登りながら振り返って下界を見たが、
あの青年たちの姿はない。
彼等は山登りではなく、
丹波川のキャンプ場へ行ったのだろう。

ゆっくりゆっくり登ったつもりだったが、
山と高原地図の表記時間より40分程早くサヲウラ峠に到着した。
地図には「サオウラ峠」と書かれているが、
「サヲウラ峠」が正しいようだ。

天気予報によると、
今日は最高気温が30℃近くまで上昇するらしい。
さすがに山は、
30℃ということはないだろうが。
この暑さで孵化したコバエがまとわりついて、
超うざいから先へ進む。

サヲウラ峠から40分程で、
熊倉山(1624m)に到着。
とはいうものの、
三角点と木にぶら下げられた手作りプレートがあるだけの。
なんの変哲もない山なので、
地図の確認を済ませてまた進む。

熊倉山からミカサ尾根をしばらく進むと、
緩やかな尾根道が急登に変わる。

岩と木の根が入り組んだ足場の悪い道を、
休み休み登り切ると。
今度は前飛龍(1954m)へと続く、
露岩の急登だ。

両手を使って、
慎重によじ登る。
左手に薄っすら富士山が見えるが、
ホントに薄っすらで見応えなし。
冬のくっきり富士山を見てしまうと、
春と夏は登るのをやめようかと真剣に思う。

もちろん日が長くて、
長時間歩くのには最適なんだけど。
澄み渡るあの絶景じゃないと、
幸福な気分に浸れない。

前飛龍の岩のてっぺんにのっかって写真を撮っていたら、
本日初の登山者と遭遇。
前飛龍のてっぺんから挨拶したが、
なぜか無視された。
女性は100%挨拶するが、
男性は時々無視をする人がいる。
別に返事を期待して挨拶しているワケではないが、
返事がないのはやっぱりちと寂しい。

さあ飛龍山は目と鼻の先と、
勢い良く歩き出してみたんだが。
歩けども歩けども、
目指す頂上は現れない。

結局、
到着予定時間を20分程オーバーした12時20分。
登山開始から4時間20分で、
なんとか飛龍山頂に到着。
飛龍山はさぞ見通しの良い山で、
きっと素敵な美景が拝めるだろう。
というのは完全な思い込みで、
山頂にあるのは「飛龍山」と書かれた傾いたプレートのみ。

360度木々に覆われていて、
眺望は甚だよろしくない。

よくよくその傾いたプレートを見つめてみると、
「日本百名山」ではなく「山梨百名山」とある。

ああ騙された、
高いばっかで最悪な山だった。

出発前にどんなものかと、
「飛龍山」でネット画像検索してみたら。
ヒットしたのは、
傾いたプレートの前で写された記念写真ばかりだった。
その中の複数枚が、
60以上70未満の男女混合チームの集合写真。
登り切った今、
改めて驚愕するが。
この急登を登り切る老人たちって、
どんだけ元気なんだアンタたち。

山頂にはベンチもないし、
相変わらずコバエが超うざいしで。
飯も食わずに、
北天のタル方向へ下山開始。
この標高なら熊は平気だろうと、
耳障りな熊よけの鈴も外した。

青梅・奥多摩ではあまり見掛けないデザインの橋をいくつも渡り、
北天のタルへ到着すると。
大きな荷物を背負った青年が、
三ツ岩と呼ばれる巨大な岩に寄り掛かって休んでいた。

この青年は先程の男性とは真逆に、
とても清々しい挨拶をしてくれた。
疲れた時に見知らぬ人と挨拶を交わすと、
少し元気になるのはなんでだろう。

北天のタル、
ここも冬の空なら美しんだろうけど。
今日は霞んで、
ぼんやりしている。

「それではお気をつけて」と、
大きな荷物を背負い直した青年が。
別れの挨拶をしながら飛龍山方向へ進むと、
私は「は~い、そちらこそ」と返し。
広げていた地図を戻して、
雲取山方向へと歩き出した。

パンダが好きそうな新しい笹が生い茂る、
奥秩父主脈縦走路をひたすら歩き続ける。

何か得体の知れない強い視線を感じて思わず立ち止まったら、
鹿が私のことをじっと見つめていた。
全然逃げようとしないので、
写真を2枚撮った。
アングルを変えてみようと、
少し歩いてカメラを構え直したら逃げられた。
あんなに逃げなかったところをみると、
好奇心の強い子どもの鹿だったのかも知れない。

雲取山には2000頭の鹿がいるそうだが、
これは25年間禁猟した結果らしい。
増えた鹿たちの食害が、
深刻な自然破壊を招いているらしくて。
毎年毎年、
ある程度の数は殺し続けなければならないそうだ。
だがしかし、
こうやって間近に鹿を見てしまうと。
「そうだそうだ、殺せ殺せ」とは、
なかなか言えないワケで。

まあ、
門外漢がいくら考えても正しい答えは出ないだろうと。
ある意味、
問題を棚上げして考えるのをやめてしまうと。
また別の鹿が登山道に佇んだまま、
じっとこちらを見ている。

私が驚いて立ち止まると、
鹿も急にぴょんぴょん跳ねながら逃げて行った。

ああ鈴ね、
熊よけの鈴を外したからやたらと遭遇するのね。
まあ熊と猪以外ならウエルカムだなと思いながら進むと、
更にもう1頭の鹿と遭遇した。

午後2時過ぎ、
雲取山への登り口である三條ダルミに到着。
鴨沢BSの終バスは19時8分だから、
あと5時間ある。

雲取山の避難小屋で、
登山靴を脱いで休もう。
先日購入したGORE-TEXの登山靴は、
ひどい靴擦れもなくここまで快調だが。
靴の中に入ってしまった、
小石やら枯葉やらを取り除きたい。

さあ最後の登りだぜと、
気合を入れ直して歩き始めたが。
この登りが長いの長くないのって、
気絶しそうになる。

登っている時は足元だけを見続け、
登っては休み登っては休みを繰り返す。

そうやって騙し騙し、
一歩一歩確実に前へ進んで行くと。
遂に雲取山の、
見覚えのあるプレートが現れた。
突然山頂が出現するから、
三條ダルミからのアタックの方が好きかも知れない。
そう思いながらしばらく、
正規ルートである小雲取山からアタックする登山者たちを眺めていた。
修理が済んでいたら、
避難小屋脇にあるトイレで小便をしようとのぞいてみたが。
相変わらずトイレは故障中で、
おまけに今日はハエの大運動会だ。

この避難小屋に泊まる人、
トイレはどうしてるんだろう。
雲取山は好きな山のひとつだが、
トイレ問題が深刻だ。

すっかり尿意も失せ、
避難小屋で登山靴を脱いで遅い昼食を済ませた。

15時10分、
登山靴を履き直して詰め直した荷物を背負う。
19時8分の終バスまであと4時間、
ゆっくり下りても余裕で間に合うだろう。
終バスに乗り遅れる最悪は無さそうだから、
のんびり富士山でも見ながらと思ったが。
いつの間にか広がった雲が、
富士山を完全に覆い隠していた。

ポツポツと小雨も降り出す予想外の空模様、
のんびり下りようと思ったけどのんびりもしていられない。

100均のビニール合羽を取り出して羽織ってみたが、
小雨は1時間程でやんだ。

西日に照らされた新緑が眩しい、
ほんの5ヶ月前に長靴でここを下った時とは全く別の景色だ。

ここまで快調だった新しい登山靴だが、
下りになって急に足先が痛む。

避難小屋で履き直した時、
下りだからアソビがないようにと強く締めた。
それがいけなかかったのだろうか、
下る度に激痛だ。
登山靴を買い直したのも、
主に下り対策だったのに。
この結末に落胆しつつ、
中敷きをもっとクッション性の高いものに替えてみようかと。
登山靴改良計画案に、
思いを巡らせながら下り続けていると。
1頭の鹿が登山道を塞ぐように、
じっと私のことを見つめたまま佇んでいる。
写真を撮ってやろうと、
カメラを身構えると逃げてしまった。

足先の痛みに耐えながら、
鴨沢BSに到着したのが。
出発から10時間15分後の18時15分、
バスが来るまで1時間近くあるけど致し方ない。
幸いにもバス停近くにサントリーの自販機があったので、
ペプシでも飲んでスカッとしようと自販機の前に立つ。

ペットボトルはなく、
全ての商品が缶入り飲料だった。

小銭を投入してペプシのボタンを押そうと手を伸ばすと、
何故かふたつあるペプシだけが売り切れている。
CCレモンとセブンアップ、
散々迷った挙げ句にセブンアップを選び。
蓋を開けて飲んでみたら、
飲み口の所が臭い。

私の口が臭いのか、
缶が臭いのか。
飲み口の所に鼻に近づけて確認すると、
やっぱり犯人はこの缶だった。

不安になって賞味期限を確認すると、
2013年9月と印字されている。
ウエットティッシュで飲み口を拭き、
飲み直してみたけどやっぱり臭い。

おそらくこれは、
なんらかの原因で缶が酸化して臭いのだ。
インド人みたく飲み口に口を付けないで飲んでみようと試みるが、
どうもうまく飲めない。
結局全部飲み切れず、
半分程飲んで捨てた。

炭酸が スカッと上げる 尿酸値

イワモケ

JR青梅線・奥多摩駅→バス→丹波BS→サオラ峠→50分→熊倉山(162m)→前飛竜(1954m)→飛龍山(2077m)→北天のタル→雲取山(1937m)→雲取山避難小屋→小雲取山→奥多摩小屋→ブナ坂→七ツ石小屋→堂所→小袖乗越→鴨沢BS→バス→JR青梅線・奥多摩駅
距離=25.8km 最大標高差=1502m
[登山時間=約10時間15分]

2013-04-11

三ツドッケ、軍畑から登ったった

4月9日火曜日、
快晴。
約2ヶ月ぶりの山行、
今日は軍畑から三ツドッケ(1576m)を目指してみます。

東日原BSから三ツドッケ(天目山)に登って、
高水山まで縦走するのが正統派のようですが。
今日はあえて、
逆から挑んでみたいと思います。
午前7時35分、
軍畑駅を出発して30分弱で高水山登山口に到着。
何度も登り慣れている登山道だが、
今日は身体が重い。
2ヶ月山を休んだ影響だろうか、
後半バテないようにペースダウンして慎重に登る。

登山口から50分弱、
常福院のトイレを借りて小用を済ませる。

4時間程度しか寝ていない影響か、
どうにも身体が重くて仕方がない。
とりあえず岩茸石山(793m)の絶景を見て、
元気を出そうとすたこら登ってみたが。
春霞と黄砂の影響で、
見通しが全くよろしくない。
絶景がNGならパンでも食って元気を出そうと、
ランチパックのたまご味をぱくつく。

よくよく考えてみたら今日のコース、
高水山(759m)岩茸石山(793m)黒山(842m)棒ノ折山(969m)とじわじわ登り~の。
槙ノ尾山(945m)長尾ノ丸(958m)日向沢ノ峰(1356m)蕎麦粒山(1472m)で、
ぐんぐん標高を稼ぐ。
そんでもって仙元峠(1444m)で一旦下がって、
三ツドッケ(1576m)でピークに達する。

これを細かく計算してみると、
コース全体の約75%が登りということになる。
この身体の重さを考慮すると、
途中でコース変更もありうる話。

東日原BS発の終バスが18時52分だから、
日向沢ノ峰に15時だ。
15時までに到着できなかったら、
川苔山方向にコース変更して鳩ノ巣駅を目指そう。
そうだそうしようとB案も用意して、
岩茸石山から棒ノ折山を目指して出発したのが9時15分。

10時間を超えるコースのペース配分が、
いまいちよくわかっていない気がするが。
1に経験2に経験、
とにかく場数を踏むしかない。

権次入峠から棒ノ折山へと続く広い坂が整備工事のため、
脇の迂回路を使って山頂まで登るが。
棒ノ折山も春霞と黄砂の影響で、
見通しがよろしくない。
冬の絶景がつくづく恋しい、
これから秋まで低山からの絶景は拝めそうにないな。

問題はここから三ツドッケまでの未経験コース、
登山道は急に細々と怪しくなったが。
権次入峠の迂回路からずっと木に括り付けてあるピンク色の目印、
これのお陰で道に迷うこともなさそうだ。
今日は平日だからさすがに団体さんはいないが、
朝から数人の男性ひとり登山客と挨拶を交わした。

そしてこの未経験コースに入ってからはなぜか、
女性ひとり登山客ばかりと挨拶を交わす。

女性と言ってもギャルではなく、
初老のおばさん達なのだが。
しかし元気でびっくり、
この調子だとこのおばさん達が百歳になられる頃には。
百歳人口が現在の10倍とか、
あながちない話じゃないかも知れない。

槙ノ尾山を超えた辺りから、
随所に出現する急登。
多少の平地と下りはあるにせよ、
基本的には朝からずっと登りを続けているワケで。
その蓄積疲労がじわじわボディーブローよろしく、
ダメージを蓄え続けている。

長尾ノ丸の先にある更なる急登に差し掛かると、
苦労しながら下りて来る初老の夫婦と遭遇。

休憩かたがた、
その場に立ち尽くして待っていると。
「どうもすみません」と婦人が恐縮するので、
「この先もすごいいんですか?」と質問してみた。

すると婦人は関西訛りの残るイントネーションで、
「この先に、これの4倍はあろう坂がある」と教えてくれた。

「もう千メートルは越えましたかねぇ?」と、
今度はご主人に質問してみると。
ご主人もやはり関西訛りの残るイントネーションで、
「ここいらはまだ900メートル台でしょう」とおっしゃる。

いくつもの急登を越えて、
かなり高度を稼いだつもりだったのだが。
まだ千メートルを越えていないとは、
一体全体どういうことだろう。

千メートル弱の低山をひとつ登るのと、
その低山をいくつも越えて行くのとでは全く意味が違う。
これはまだまだ気が抜けぬ、
心して登るべしと気合を入れ直す。

別れ際、
「でも、若いから平気よね」と婦人に励まされ。
「まあ、頑張って登ってみます」と会釈して、
目の前の急登に挑み始めた。

「若くはないです、50過ぎてます」と、
ひとりツッコミしながら登っていると後ろから。
「若いから平気よね?」と、
今度は不安そうな声色でご主人に尋ねる婦人の声が聞こえる。

尋ねられたご主人は返答に困り、
何も答えず受け流していたようだが。
恐ろしい、
この先に待っているであろう4倍の急登はそんなに凄いのか。

身体のバッテリー残量はおそらく50%、
とりあえず日向沢ノ峰まで頑張ってみよう。

次々と出現する急登をなんとか越えたその後、
日向沢ノ峰のピークへと続くらしい噂の4倍急登が出現した。

10歩登っては休み、
10歩登っては休みを繰り返し。
エベレスト登山のような牛歩でもって、
なんとか日向沢ノ峰に到着。
携帯の時計を見てみると、
14時05分。
軍畑を出発してから6時間30分か、
さてどうしたものか。
ここから川苔山方向へショートカットしようか、
終バスに間に合いそうだから予定通り三ツドッケを目指すか。

棒ノ折山を出発したあたりから、
なんだか胃が痛くて気持ちも悪い。

当然食欲もないが、
薬だと思って蒸しパンをひとつ食べてみたら。
少し元気が出て、
予定通り三ツドッケを目指すことにした。

もうひと踏ん張り、
まずは蕎麦粒山を目指して歩き出そう。

ピンクが途中から、
赤や黄色の目印に変わったが。
ありがたい目印のお陰で、
心許無い登山道も道に迷う心配はない。

ただ残念なのは、
登山道の北側も南側も木々が邪魔をして眺望がよろしくない点だ。

道中のイベントといえば、
かなりの頻度で出現する急登をどう攻略するか。
それ以外特に変化のないコースで、
日向沢ノ峰を過ぎてからはもう誰ひとりとも遭遇していない。

そしておそらくこのコース最大のイベントであろう、
蕎麦粒山へと続く長い急登が立ちはだかる。
その天敵を見上げ、
水分補給をしながら心の整理をしていると。
10年以上昔、
東京・調布から新潟・糸魚川までママチャリで走破した時の記憶が甦った。

あの塩尻峠越えはキツかった、
あれに比べればこんなの屁の河童だ。

と自分に言い聞かせ、
牛歩作戦でもって一歩一歩確実に登って行く。

俺は何をやってるんだ、
ママチャリで糸魚川まで走ったって。
キャバクラでモテたりしなかったじゃないか、
意味がわからないと鼻で笑われただけだったじゃないか。

美味しい魚が食べたいから釣りをする、
美味しい野菜が食べたいから土をいじる。
意味のあることしかしない大人なんて糞食らえだ、
だから俺はひとり密かに意味のないバカ登山をする。

万歳バカ登山、
万歳バカ野郎。

などなどと、
朝から蓄積され続けた疲労に頭も侵され幻聴が聞こえ出す。

両耳にへばりつく幻聴を振り払い、
頭を上げると蕎麦粒山の道標が見えた。
素人さんならここで嬉しくなって、
一気に登りがちだが。
あえてここで、
一休みすべきだ。
なぜならば、
山の傾斜が最もキツいのは頂上付近なのだから。

山と高原地図によると、
一杯水避難小屋までは残り80分だそうだ。
自分歩速は八掛けだから、
64分以内に着けるだろう。

蕎麦粒山の山頂に横たわるベッドのような大きな石、
荷物を下ろして横になってみた。

背中の筋肉が悲鳴を上げている、
背骨もコキコキ鳴る。

横たわったまま、
青い空をぼんやり見上げるが。
言葉は何も浮かんでこない、
ただそこに青い空があるばかりだ。

さあ、
三ツドッケの絶景を見て締め括ろう。

岩茸石山も棒ノ折山も、
春霞と黄砂の影響でよろしくなかったけど。
標高1576mの三ツドッケならきっと大丈夫と、
自分に言い聞かせて出発したのが14時10分。
そして仙元峠を越え、
一杯水避難小屋に到着したのが15時05分。
軍畑から三ツドッケまで逆歩きするのはバカ登山の極みだな、
もう2度とごめんだと今は思ってるけど。
2、3年経てばまた登りたくなるのだろうよ、
そこがバカ登山の心粋だぜぃ。

一杯水避難小屋の裏手から、
20分程かけて最後の急登を越えて山頂に到着。
三ツドッケは2度目だが、
ここの360度大パノラマは超絶景だ。
前回は見えなっかた富士山も、
今日はぼんやり見えている。
このまま夕暮の富士山を眺めて、
酉谷山の避難小屋にでも泊まろうか。
一杯水のトイレは古くて汚いが、
酉谷避難小屋はとても清潔だ。
この小屋なら泊まれそうだと、
酉谷山に登った時に思った。

そろそろ避難小屋デビューしてみたいものだが、
なかなか踏ん切りがつかないでいる。
すべての問題は、
洗髪しないと眠れないという潔癖体質にある。
水の要らないシャンプーみたいな、
画期的な薬品はないものか。

身体のバッテリー残量はおそらく15%、
終バスを乗り過ごして奥多摩駅まで歩く気力はもうない。

現在時刻は16時15分、
ここからゆっくり下りても120分以内で東日原BSに着くだろう。
東日原に着いたらすかっとさわやかなコカコーラを飲もうか、
それとも思い切ってビールとか。
確かバス停の近くに酒屋があったぞ、
ビールもありか。
18時前後に着くだろうワケだから、
18時52分の終バスまで1時間近くある。
ビールだビール、
ビールを飲めばきっとこの胃の痛みも消えるだろう。

頭の中が冷えたビールで占拠され、
ビールビールと囁きながら。
すたこらさっさと、
東日原を目指して下り続けるが。
登りより下りの方がラクというのは大間違いで、
下りの傾斜が足先に強い痛みを走らせる。

三ツドッケから高水山への正統派コースも、
あながち楽勝じゃないかも知れないぞ。
この逆なのだから、
コース全体の約75%が下りということになる。
それはそれで、
大変骨の折れることだろう。

足先に走る強い痛みに耐え続けて、
東日原BSに到着したのが18時05分。

バス停に隣接されたトイレで小用を済ませ、
酒屋に向かってみたが店は閉まっていた。

幸い店先にSAPPOROの自販機があったので、
ビールを買おうとしばらく眺めてみたが。
非アルコールの飲料水ばかりで、
ビールはない。

自販機でビールを提供できない時代が、
この田舎にも押し寄せてしまったのか。

SAPPOROの横にコカコーラの自販機もあったのだが、
なぜか無性にSAPPORO富士山麓バナジウム・ウォーターが飲みたくなって買った。

富士山麓の美味しい水で、
痛む胃を洗浄しなからバスを待つ。

ベンチに座ったままうとうとしていると、
意外に早く時間が過ぎてくれて終バスが現れる。

ひとりバスに乗り込み、
本格的に眠ることにする。

バスに揺られること30分弱、
「次は終点の奥多摩駅」というアナウンスで目が覚める。
いつの間にか乗り込んでいた3人のおやじ達が、
大きな声で喋っている。
「今週は長えなぁ、まだ火曜かよ」と、
恐ろしく長い1週間を憂いていた。

3人は登山客ではなく、
地元の人間らしかった。

奥多摩駅にバスが到着したので立ち上がると、
「お先にどうぞ」と3人組の最年長者に先を譲られ、
「すみません」と会釈してバスを下りる。

平日の山行は少々後ろ暗いが、
山の静かさは至極この上ない。
山あれば 意味なくひたすら バカ登る

イワモケ

JR青梅線・軍畑駅→高源寺→高水山(759m)→岩茸石山(793m)→黒山(842m)→権次入峠→棒ノ折山(969m)→槙ノ尾山(945m)→長尾ノ丸(958m)→日向沢ノ峰(1356m)→蕎麦粒山(1472m)→仙元峠(1444m)→一杯水避難小屋→三ツドッケ(1576m)→一杯水避難小屋→東日原BS→バス→JR青梅線・奥多摩駅
距離=26.7km 最大標高差=1356m
[登山時間=約10時間30分]

2013-02-11

新雪の鷹ノ巣山、長靴でよじ登る

2月7日木曜日、
昨日の雪がうっすら残る奥多摩駅。
8時10分発、
鍾乳洞行きバスに乗り込む。

土日は東日原BS止まりのみだが、
平日は中日原BSに停車する鍾乳洞行きバスがある。
今日は中日原BSで下りて、
「奥多摩三大急登」のひとつ。
稲村岩尾根経由で、
鷹ノ巣山(1736m)を目指そうと思う。

暖房の効いていないバスの車内には、
2人組の山オヤジと2人組の山ガールと私の5人のみ。

運転手がバスに乗り込みエンジンを始動させると、
生暖かい暖房の風が車内に漂い始めた。

バスは定刻通りに発車すると、
細い山道を蛇行しながら登って行く。
このくねくね山道と、
恐らく10℃以下であろう。
一向に暖かくならない車内がいけなかったのだろうか、
なんだかお腹が急に痛くなってきた。

奥多摩駅を出発して約15分、
降車ブザーが押されてバスが川乗橋BSで停車した。
山オヤジたちに続いて、
山ガールたちが降りて行く。
その山ガールのひとりのSuicaが、
エラー音を出し続けている。
乗車の際にSuicaをタッチしなかったらしく、
「乗車の際は、タッチ願います」と運転手に注意される。
私はこの「タッチ願います」というフレーズが、
妙に笑えてニヤニヤしてしまった。

川苔山(1363m)を目指すのだろう4人を見送るように、
バスはゆっくり出発する。

私は東日原BSに、
綺麗なトイレがあることを知っている。
今日は中日原BSで下りるつもりだったが、
東日原BSのトイレに直行だ。
幸いバスの乗客は既に私ひとりで、
トイレを争う心配もない。

降車ブザーを押し、
東日原BSで下車した。

バス停に設置されたベンチにリュックを下ろし、
貴重品だけを持ってトイレへ進むと。
誰もいない筈のトイレから、
男性登山客がベルトを締めながら出てきた。
「うわっ、びっくりした」と、
面食らって大きな声を出す登山客。

ここまで、
マイカーでやって来たのか。
それとも1本前のバスでやって来て、
ずっとうんこしていたのかは不明だが。
いる筈のないライバルが突然現れて、
私の方も面食らった。

「おはようございます」と改めて挨拶し直して、
入れ替わるようにトイレへ入った。

素早くズボンを下ろして便座に座ってみたら、
ヒーター付きの便座が温かい。
うーん、
これは極楽と。
快調にうんこしたら、
すっかりお腹の痛みも消えた。

東日原BSから5分程歩いて、
隣のバス停である中日原BSに到着すると。
「兄さん鷹ノ巣か、気をつけてな」と、
地元のお婆ちゃんに声を掛けられたので。
振り返って、
「ありがとうございます」と微笑みながら会釈する私。

「帰りはどっから下りる?」とお婆ちゃん、
「奥多摩の駅まで歩きます」と私。
「ああ、その方がええわ」と、
今度はお婆ちゃんが微笑む。

どうしてその方が良いのか理由はよく分からないが、
面倒なのでそのまま受け流し。
「行ってきます」ともう一度、
軽く会釈して出発した。
登山道へ入ると、
新雪の上にしっかりとした靴跡がある。
アイゼンは装着していないようだが、
その靴跡は間違いなく登山靴だ。
これはありがたい、
このトレースを頼りに歩けば迷うこともなさそうだ。

倉戸山(1169m)から榧ノ木山(1485m)、
水根山(1620m)を抜けて鷹ノ巣山に登ったことはあるが。
稲村岩尾根は初めて登るので、
まさにこれは「渡りに船」「めくらに提灯」だ。

来シーズンあたりは新しい登山靴とアイゼンを買おうと思いつつ、
今シーズン中はこのスパイク付き長靴でなんとかしようと思う。
登山道に入ってから約50分、
先達さんのトレースのお陰ですんなり稲村岩へ到着。

その道標の前で、
おそらく40代であろう男性登山者と遭遇した。
「こんちは、これが稲村岩ですか?」と、
大きな岩山を指し示す私。
「ええ、そうです」と答えてくたれたこの方、
実はトレースをしてくれていた先達さんだったのだが。
なぜかこの時の私は、
この方は下山して来た方だと思い込んでいた。

おまけにこれから進む道は、
稲村岩を乗り越えてた先にあるものだと勘違いしていて。
この方は稲村岩から下りて来た人だとも、
強く思い込んでいた。

険しい稲村岩の岩肌をよじ登り、
なんとか稲村岩のピークに登り着くが。
いくら探しても、
これより先に道がない。
先達さんのトレースも消失し、
誰もこの稲村岩に足を踏み入れた形跡がない。

これはおかしい、
どうしたものかと途方に暮れ。
しばらく行ったり来たりルートを探ってみたが、
それらしいルートはどうしても発見できない。

どこで間違えたのだろうと検証しながら、
険しい岩肌を戻ることにした。

ここから滑落したら、
あの谷まで落ちるのか。
あの谷底ならまあ、
なんとかよじ登れそうだなと。
滑落した自分を想像しながら、
稲村岩を恐る恐る下りる。

地図を何度見直しても、
稲村岩を乗り越えて「一本道を進む」としか読み取れない。

「山と高原地図」の付録解説書、
これを何度も読み直してみたが。
やっぱり稲村岩を乗り越えて、
「一本道を進む」と書いてあるようにしか読めない。

実は先達さんだった人と出会った道標の前まで戻って、
もう一度地図を広げてみる。

「←稲村岩 石尾根縦走路→」
この道標をどう理解いれば良いものか。

稲村岩方向へ進んでも行き止まり、
ということは石尾根縦走路方向へ進むしかないのだが。
地図にはその、
石尾根縦走路方向への道が存在しない。

どうしたものかと散々思い悩んだ末、
ダメなら引っ返そうと石尾根縦走路方向へ進む急な坂を登ることにした。

しばらく急坂を登ると、
先達さんの靴跡が再び現れた。

なんだ、
完全に地図を読み違えていたんじゃないか。
稲村岩というのは、
ただの立ち寄り観光だったんじゃないか。
それならそうと、
しっかりその旨書けってんだッ。
お陰で1時間もロスしちまったじゃねえか、
まったく昭文社めッ。
足元の雪はどんどん深くなって、
汗が顔面から滴り落ちる。
先達さんのトレースを信じて、
丹念に一歩一歩登り続ける。

これは確かに、
「奥多摩三大急登」だ。
本仁田山(1224m)の急登もきつかったが、
こちらもなかなか手強いぞ。

傾斜はどんどんきつくなって、
登っても登っても緩やかにならない。

それなら作戦変更と、
上を見るのをやめて。
足元だけを見ながら、
一歩一歩丹念に登り続けたら。
ずっと先に見えていたピークが、
いつの間にか目と鼻の先に近づいていた。

ああ、
やっと登り切ったのか。
それにしても長い、
雪山は夏山の倍疲れると言うがホントにそうだと実感する。

雪山を7日間毎日12時間縦走し続けたという、
昭和初期の登山家・加藤文太郎はとんでもねえ怪物だぜ。
80年近い遥か昔、
簡素な冬山装備でひとり歩き続けた怪物・加藤文太郎を改めて敬服する私であった。

大汗かきかき、
なんとか登り切って平坦な道に出る。
久しぶりの平坦道に歓喜しながら、
しばらく大股で進むと。
目の前に広がるのは、
更に斜度のきつい大急登だ。

落胆しつつ、
呼吸を整えて先達さんのトレース通り進む。
先達さんはここでアイゼンを装着したらしく、
雪道にしっかりアイゼンの跡が付いている。
私のスパイク付き長靴は、
ここまで快調で特に問題はない。

が、
しかし。
ここから始まった大急登、
これがとてつもなく長かった。
そして更に雪の下に横たわっているであろう大きな岩肌が、
つるつる滑って登れない。
踏み込んだ足が滑ってすってんころり、
急な斜面をずるずる滑り落ちる私。

どうにも滑って登れないので、
泣く泣く先達さんのトレースから離れ。
支えになる木の枝を探しつつ、
なんとか木の枝を掴んでよじ登る。
普段ストックなんぞ欲しいと思ったことはないけれど、
さすがに雪山にはあった方が良いみたいです。

つるつる滑る雪の下にあるであろう大きな岩肌と格闘しながら、
大急登をよじ登り続けていると先達さんの姿が見えた。
ここで初めて先達さんが稲村岩の分岐で出遭った方と同一人物だったと、
今更ながら気付く私。

そうか、
稲村岩と格闘した1時間は無駄じゃなかったんだ。
あのまますんなり進んでいたら、
あっという間に先達さんを追い越してしまって。
トレースなしの、
超不安なひとり登山だったじゃないか。
ありがとう先達さん、
お陰様で随分ラクに登ることができましたッ。

立派な一眼レフカメラで、
写真撮影をしていらっしゃる先達さん。
トレースがなくなるから追い越したくないので、
こちらも写真など撮りながらしばらく時間調整をしていたが。
どうにも追い越さなきゃいけないカンジになってしまって、
挨拶しなが道を聞くと。
「このままピークを目指せば着くと思います」と言われ、
不安ながら私めが先行することになる。

相変わらずつるつる滑る、
雪の下にあるであろう大きな岩肌。
登り易そうな木のあるルートを選択して、
全身雪にまみれでよじ登り続ける。

ああ着いた、
見覚えのある道標だ。
朝の9時に登山道へ入って、
なんだかんだの4時間超え。

傍から見たら平日の朝っぱらから一体、
何をやってるんだねと言われそうだが。
苦労すればするほど、
不思議な程にやけてしまう自分がいる。
目の前に広がる大パノラマ、
あいにく富士山は逆光で薄ぼんやりしているが。
山々にかかる不思議な雲海の、
なんとも言えぬ塩梅が最高だ。

ありがとう、山。
ありがとう、雲。

少し遅れて山頂に到着した先達さんに、
「どうもありがとうございました、
ずっと靴跡を追って登って来ました」とお礼を言いながら会釈すると。
「長靴にストックなしって、
凄いポテンシャルですね」と褒められた。

「滑りまくりましたけど、平気でした?」と尋ねてみると、
「今日は雪の下の岩が凍ってましたから」と教えてくれた。

「前に一度、
3月にこのコースを登ったが、
その時は雪が膝まであった」そうな。

しばらく二人で山話をした後、
「その先に向こうの山が見えるポイントがあるので」と言って。
ザックを道標脇に置いたまま、
先達さんは鷹ノ巣山避難小屋方向へ下りて行った。

目の前に広がる大パノラマを眺めながら、
私はいつもの薄皮つぶあんぱんを口の中に放り込む。

そそくさと食事を済ませ、
リュックを背負って先達さんの下りた避難小屋方向へ向かってみる。

富士山とは逆側の山々を写真に収め、
「下りま~す、ありがとうございました~っ」と先達さんに手を振り振り、
再び鷹ノ巣山方向へ戻って下山開始。

ここからはもう先達さんのトレースはないが、
歩いたことがあるコースだから迷うことはないだろう。
足跡のまったくない雪道、
スケボーで滑り降りたらさぞ格好良いだろうに。

相当疲れている筈なのに、
なぜか新雪の雪道を苦もなく駆け下りる両足。
大急登から開放された喜びなのか、
楽しくてしょうがない。

道に迷うこともなく約3時間半で、
奥多摩駅に到着。

長い時間山を歩いた後、
下界に戻ると脳の中にセレトニンが大量発生する気がする。
なんとも言えぬ、
不思議な幸福感に包まれ続ける。

東浦奈良男という1万日連続登山を目指し、
9738日で記録が途絶えた伝説のお爺ちゃん。
この方が綴った日記の中に、
「もし幸せでなかったら、
それはその人の罪であり罰である」
というの一節がある。
ああそうなんだよ、
生きているだけで幸福なんだよ。
山から下りて4日目、
まだまだ不思議な幸福感に包まれ続けている私は幸福者だ。

来シーズンこそは、
新しい登山靴とアイゼンを買います。
ストックはどうしよう、
こちらはちょっと悩み中ですけど。

イワモケ

とある山の指南書に、
山8時間は。
フルマラソンの消費カロリーを超えるって書いてあったけど、
本当なんだろうか?

JR青梅線・奥多摩駅→バス→東日原→稲村岩→鷹ノ巣山(1736m)→水根山→六ツ石山分岐→三ノ木戸山(1177m)→JR青梅線・奥多摩駅
距離=約15.3km 最大標高差=約1407m
[登山時間=約8時間]