2013-02-11

新雪の鷹ノ巣山、長靴でよじ登る

2月7日木曜日、
昨日の雪がうっすら残る奥多摩駅。
8時10分発、
鍾乳洞行きバスに乗り込む。

土日は東日原BS止まりのみだが、
平日は中日原BSに停車する鍾乳洞行きバスがある。
今日は中日原BSで下りて、
「奥多摩三大急登」のひとつ。
稲村岩尾根経由で、
鷹ノ巣山(1736m)を目指そうと思う。

暖房の効いていないバスの車内には、
2人組の山オヤジと2人組の山ガールと私の5人のみ。

運転手がバスに乗り込みエンジンを始動させると、
生暖かい暖房の風が車内に漂い始めた。

バスは定刻通りに発車すると、
細い山道を蛇行しながら登って行く。
このくねくね山道と、
恐らく10℃以下であろう。
一向に暖かくならない車内がいけなかったのだろうか、
なんだかお腹が急に痛くなってきた。

奥多摩駅を出発して約15分、
降車ブザーが押されてバスが川乗橋BSで停車した。
山オヤジたちに続いて、
山ガールたちが降りて行く。
その山ガールのひとりのSuicaが、
エラー音を出し続けている。
乗車の際にSuicaをタッチしなかったらしく、
「乗車の際は、タッチ願います」と運転手に注意される。
私はこの「タッチ願います」というフレーズが、
妙に笑えてニヤニヤしてしまった。

川苔山(1363m)を目指すのだろう4人を見送るように、
バスはゆっくり出発する。

私は東日原BSに、
綺麗なトイレがあることを知っている。
今日は中日原BSで下りるつもりだったが、
東日原BSのトイレに直行だ。
幸いバスの乗客は既に私ひとりで、
トイレを争う心配もない。

降車ブザーを押し、
東日原BSで下車した。

バス停に設置されたベンチにリュックを下ろし、
貴重品だけを持ってトイレへ進むと。
誰もいない筈のトイレから、
男性登山客がベルトを締めながら出てきた。
「うわっ、びっくりした」と、
面食らって大きな声を出す登山客。

ここまで、
マイカーでやって来たのか。
それとも1本前のバスでやって来て、
ずっとうんこしていたのかは不明だが。
いる筈のないライバルが突然現れて、
私の方も面食らった。

「おはようございます」と改めて挨拶し直して、
入れ替わるようにトイレへ入った。

素早くズボンを下ろして便座に座ってみたら、
ヒーター付きの便座が温かい。
うーん、
これは極楽と。
快調にうんこしたら、
すっかりお腹の痛みも消えた。

東日原BSから5分程歩いて、
隣のバス停である中日原BSに到着すると。
「兄さん鷹ノ巣か、気をつけてな」と、
地元のお婆ちゃんに声を掛けられたので。
振り返って、
「ありがとうございます」と微笑みながら会釈する私。

「帰りはどっから下りる?」とお婆ちゃん、
「奥多摩の駅まで歩きます」と私。
「ああ、その方がええわ」と、
今度はお婆ちゃんが微笑む。

どうしてその方が良いのか理由はよく分からないが、
面倒なのでそのまま受け流し。
「行ってきます」ともう一度、
軽く会釈して出発した。
登山道へ入ると、
新雪の上にしっかりとした靴跡がある。
アイゼンは装着していないようだが、
その靴跡は間違いなく登山靴だ。
これはありがたい、
このトレースを頼りに歩けば迷うこともなさそうだ。

倉戸山(1169m)から榧ノ木山(1485m)、
水根山(1620m)を抜けて鷹ノ巣山に登ったことはあるが。
稲村岩尾根は初めて登るので、
まさにこれは「渡りに船」「めくらに提灯」だ。

来シーズンあたりは新しい登山靴とアイゼンを買おうと思いつつ、
今シーズン中はこのスパイク付き長靴でなんとかしようと思う。
登山道に入ってから約50分、
先達さんのトレースのお陰ですんなり稲村岩へ到着。

その道標の前で、
おそらく40代であろう男性登山者と遭遇した。
「こんちは、これが稲村岩ですか?」と、
大きな岩山を指し示す私。
「ええ、そうです」と答えてくたれたこの方、
実はトレースをしてくれていた先達さんだったのだが。
なぜかこの時の私は、
この方は下山して来た方だと思い込んでいた。

おまけにこれから進む道は、
稲村岩を乗り越えてた先にあるものだと勘違いしていて。
この方は稲村岩から下りて来た人だとも、
強く思い込んでいた。

険しい稲村岩の岩肌をよじ登り、
なんとか稲村岩のピークに登り着くが。
いくら探しても、
これより先に道がない。
先達さんのトレースも消失し、
誰もこの稲村岩に足を踏み入れた形跡がない。

これはおかしい、
どうしたものかと途方に暮れ。
しばらく行ったり来たりルートを探ってみたが、
それらしいルートはどうしても発見できない。

どこで間違えたのだろうと検証しながら、
険しい岩肌を戻ることにした。

ここから滑落したら、
あの谷まで落ちるのか。
あの谷底ならまあ、
なんとかよじ登れそうだなと。
滑落した自分を想像しながら、
稲村岩を恐る恐る下りる。

地図を何度見直しても、
稲村岩を乗り越えて「一本道を進む」としか読み取れない。

「山と高原地図」の付録解説書、
これを何度も読み直してみたが。
やっぱり稲村岩を乗り越えて、
「一本道を進む」と書いてあるようにしか読めない。

実は先達さんだった人と出会った道標の前まで戻って、
もう一度地図を広げてみる。

「←稲村岩 石尾根縦走路→」
この道標をどう理解いれば良いものか。

稲村岩方向へ進んでも行き止まり、
ということは石尾根縦走路方向へ進むしかないのだが。
地図にはその、
石尾根縦走路方向への道が存在しない。

どうしたものかと散々思い悩んだ末、
ダメなら引っ返そうと石尾根縦走路方向へ進む急な坂を登ることにした。

しばらく急坂を登ると、
先達さんの靴跡が再び現れた。

なんだ、
完全に地図を読み違えていたんじゃないか。
稲村岩というのは、
ただの立ち寄り観光だったんじゃないか。
それならそうと、
しっかりその旨書けってんだッ。
お陰で1時間もロスしちまったじゃねえか、
まったく昭文社めッ。
足元の雪はどんどん深くなって、
汗が顔面から滴り落ちる。
先達さんのトレースを信じて、
丹念に一歩一歩登り続ける。

これは確かに、
「奥多摩三大急登」だ。
本仁田山(1224m)の急登もきつかったが、
こちらもなかなか手強いぞ。

傾斜はどんどんきつくなって、
登っても登っても緩やかにならない。

それなら作戦変更と、
上を見るのをやめて。
足元だけを見ながら、
一歩一歩丹念に登り続けたら。
ずっと先に見えていたピークが、
いつの間にか目と鼻の先に近づいていた。

ああ、
やっと登り切ったのか。
それにしても長い、
雪山は夏山の倍疲れると言うがホントにそうだと実感する。

雪山を7日間毎日12時間縦走し続けたという、
昭和初期の登山家・加藤文太郎はとんでもねえ怪物だぜ。
80年近い遥か昔、
簡素な冬山装備でひとり歩き続けた怪物・加藤文太郎を改めて敬服する私であった。

大汗かきかき、
なんとか登り切って平坦な道に出る。
久しぶりの平坦道に歓喜しながら、
しばらく大股で進むと。
目の前に広がるのは、
更に斜度のきつい大急登だ。

落胆しつつ、
呼吸を整えて先達さんのトレース通り進む。
先達さんはここでアイゼンを装着したらしく、
雪道にしっかりアイゼンの跡が付いている。
私のスパイク付き長靴は、
ここまで快調で特に問題はない。

が、
しかし。
ここから始まった大急登、
これがとてつもなく長かった。
そして更に雪の下に横たわっているであろう大きな岩肌が、
つるつる滑って登れない。
踏み込んだ足が滑ってすってんころり、
急な斜面をずるずる滑り落ちる私。

どうにも滑って登れないので、
泣く泣く先達さんのトレースから離れ。
支えになる木の枝を探しつつ、
なんとか木の枝を掴んでよじ登る。
普段ストックなんぞ欲しいと思ったことはないけれど、
さすがに雪山にはあった方が良いみたいです。

つるつる滑る雪の下にあるであろう大きな岩肌と格闘しながら、
大急登をよじ登り続けていると先達さんの姿が見えた。
ここで初めて先達さんが稲村岩の分岐で出遭った方と同一人物だったと、
今更ながら気付く私。

そうか、
稲村岩と格闘した1時間は無駄じゃなかったんだ。
あのまますんなり進んでいたら、
あっという間に先達さんを追い越してしまって。
トレースなしの、
超不安なひとり登山だったじゃないか。
ありがとう先達さん、
お陰様で随分ラクに登ることができましたッ。

立派な一眼レフカメラで、
写真撮影をしていらっしゃる先達さん。
トレースがなくなるから追い越したくないので、
こちらも写真など撮りながらしばらく時間調整をしていたが。
どうにも追い越さなきゃいけないカンジになってしまって、
挨拶しなが道を聞くと。
「このままピークを目指せば着くと思います」と言われ、
不安ながら私めが先行することになる。

相変わらずつるつる滑る、
雪の下にあるであろう大きな岩肌。
登り易そうな木のあるルートを選択して、
全身雪にまみれでよじ登り続ける。

ああ着いた、
見覚えのある道標だ。
朝の9時に登山道へ入って、
なんだかんだの4時間超え。

傍から見たら平日の朝っぱらから一体、
何をやってるんだねと言われそうだが。
苦労すればするほど、
不思議な程にやけてしまう自分がいる。
目の前に広がる大パノラマ、
あいにく富士山は逆光で薄ぼんやりしているが。
山々にかかる不思議な雲海の、
なんとも言えぬ塩梅が最高だ。

ありがとう、山。
ありがとう、雲。

少し遅れて山頂に到着した先達さんに、
「どうもありがとうございました、
ずっと靴跡を追って登って来ました」とお礼を言いながら会釈すると。
「長靴にストックなしって、
凄いポテンシャルですね」と褒められた。

「滑りまくりましたけど、平気でした?」と尋ねてみると、
「今日は雪の下の岩が凍ってましたから」と教えてくれた。

「前に一度、
3月にこのコースを登ったが、
その時は雪が膝まであった」そうな。

しばらく二人で山話をした後、
「その先に向こうの山が見えるポイントがあるので」と言って。
ザックを道標脇に置いたまま、
先達さんは鷹ノ巣山避難小屋方向へ下りて行った。

目の前に広がる大パノラマを眺めながら、
私はいつもの薄皮つぶあんぱんを口の中に放り込む。

そそくさと食事を済ませ、
リュックを背負って先達さんの下りた避難小屋方向へ向かってみる。

富士山とは逆側の山々を写真に収め、
「下りま~す、ありがとうございました~っ」と先達さんに手を振り振り、
再び鷹ノ巣山方向へ戻って下山開始。

ここからはもう先達さんのトレースはないが、
歩いたことがあるコースだから迷うことはないだろう。
足跡のまったくない雪道、
スケボーで滑り降りたらさぞ格好良いだろうに。

相当疲れている筈なのに、
なぜか新雪の雪道を苦もなく駆け下りる両足。
大急登から開放された喜びなのか、
楽しくてしょうがない。

道に迷うこともなく約3時間半で、
奥多摩駅に到着。

長い時間山を歩いた後、
下界に戻ると脳の中にセレトニンが大量発生する気がする。
なんとも言えぬ、
不思議な幸福感に包まれ続ける。

東浦奈良男という1万日連続登山を目指し、
9738日で記録が途絶えた伝説のお爺ちゃん。
この方が綴った日記の中に、
「もし幸せでなかったら、
それはその人の罪であり罰である」
というの一節がある。
ああそうなんだよ、
生きているだけで幸福なんだよ。
山から下りて4日目、
まだまだ不思議な幸福感に包まれ続けている私は幸福者だ。

来シーズンこそは、
新しい登山靴とアイゼンを買います。
ストックはどうしよう、
こちらはちょっと悩み中ですけど。

イワモケ

とある山の指南書に、
山8時間は。
フルマラソンの消費カロリーを超えるって書いてあったけど、
本当なんだろうか?

JR青梅線・奥多摩駅→バス→東日原→稲村岩→鷹ノ巣山(1736m)→水根山→六ツ石山分岐→三ノ木戸山(1177m)→JR青梅線・奥多摩駅
距離=約15.3km 最大標高差=約1407m
[登山時間=約8時間]

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